現状

沖縄本島の15%が米軍専用施設

青い海と美しいサンゴ礁など、豊かな自然に恵まれている沖縄県は有数の観光地です。
しかしながら、同時に「米軍基地の県」として、今なお様々な課題を抱えています。
県内には、31の米軍専用施設があり、総面積は18,609ha(ヘクタール)で沖縄本島の15%の面積を占めています。
その規模は、東京23区のうち、13区を覆ってしまうほどの広大な面積です。
また陸上だけでなく、水域27箇所と空域20箇所が訓練区域など米軍管理下に置かれており、漁業の制限や航空空路の制限などもあります。

何が原因なの?

第二次世界大戦中に日本国内で地上戦が行われたのは唯一沖縄だけです。
1945年4月1日にアメリカ軍55万人が沖縄本島に上陸しました。その目的は沖縄全島を米軍基地化して、日本本土攻略の足場を築くためでした。
約2ヶ月間の地上戦で日本人の犠牲者は約20万人、この中には沖縄の一般県民 約94,000人が含まれています。
これは当時の沖縄県民の4人に1人が犠牲になったことになります。

戦後の沖縄は、昭和47年(1972年)の本土復帰まで27年間に渡って、米軍の施政権下にありました。
日本本土は米軍基地の整理縮小が進む中、沖縄では復帰後も多くの米軍基地が日米安全保障条約に基づく提供施設・区域として引き継がれており、現在では国土面積の約0.6%しかない沖縄県に国内の米軍専用施設面積換算で70.3%(令和3年3月31日現在)が沖縄に集中している状態です。

沖縄県 沖縄から伝えたい米軍基地の話Q&Aブックより

沖縄米軍基地の役割の変遷

米軍基地は戦後の米軍統治下では、沖縄は本土から分断され、アメリカにとって沖縄を有利な施政下を敷くための拠点でした。
本土復帰までの27年間は日本政府から十分な支援を受ける事ができない状態でした。
その間も米軍基地は、朝鮮戦争やベトナム戦争など、他国の戦争におけるアメリカの軍事拠点となってきました。

本土復帰以降、格差の是正や沖縄の自立的発展のために沖縄新興開発計画のもと、沖縄の振興が図られ、米軍基地との共存が図られてきました。
米軍による事件や事故による負担もあり、様々な政治的経緯から戦後よりは県内の基地の縮小が図られているものの、軍事的・政治的理由で、沖縄県の基地負担は大きく軽減はされていません。

時代を経て近年では、近隣アジア各国の軍事力が高まり、核兵器を含む大規模な軍事力が日本周辺に存在しています。
北朝鮮から日本方向に向けたミサイル発射や、中国の海洋進出に伴う尖閣諸島奪取のための度重なる領海侵犯など、日本に対して敵対的な行動による緊張状態が続く中、日米安保条約に基づき米軍基地が他国からの侵略に対する抑止力にもなっているとされています。

県民の意識

第二次大戦後から既に70年以上が経ち、様々な問題を経て今に至りますが、戦争中や戦後の米軍関連のトラブル被害による癒えぬ痛みの歴史を抱え、基地反対を貫く人たちと共に、既に基地が沖縄の一部として共存している面、アメリカ以外の他国からの侵略の歯止めになっている面などから、現実問題として米軍基地を認める人たちもいます。
基地問題は今でも議論が分かれ、選挙でも議論の的になって票が分かれています。
県民同士でも、意見の違いによって争いに発展することがあるので、普段の会話ではあまり話したくないタブー的な風潮もあります。

解決への動き

SDGsの観点からも、持続可能で平和な社会・世界を構築するためにも、悲劇と破壊を生み出す人間の戦争ほど愚かなことはありません。
戦争の道具となる、武器や基地も、ないに越したことはありませんから、沖縄の米軍基地ももちろん存在して欲しくないものです。

しかしながら、歴史的な事実として力をもった強国が弱国へ侵略を繰り返してきた事実があります。
第二次大戦後、日本は直接戦争に巻き込まれていない時代が続いていますが、これから先もそれが保証されるわけではありません。
北朝鮮や中国からの牽制はもちろん、近隣のアジア諸国でも様々な紛争や緊張状態が続いているのが現状です。
そのため、現実的な対応として社会的に戦争を起こさないために、話し合いや経済交流を行うことはもちろん、武力均衡を保つことも必要という意見もあります。

このページ上ではとてもまとめきれませんが、過去のたくさんの悲劇や哀しみを教訓に、多くの方々による戦争の悲劇を繰り返さないための取り組みが今なお進められています。
県民間や国内で意見は違えども、平和であることが誰もが幸福な生活を送れる土台とはずです。
これからも、様々なトラブルに対して一人一人が武力解決ではなく、平和的解決の道を常に模索していく必要があると思います。

沖縄県 沖縄から伝えたい。米軍基地の話 Q&A Book

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