大阪の地に根づいた沖縄の文化と人々
大阪市大正区には沖縄出身者が多い。子や孫たちまで含めると、約7万人の区民の4分の1程度を占め、沖縄県北中城村の人口に匹敵する。商店街は沖縄物産店が軒を連ね、琉球舞踊のけいこ場や琉球空手の道場も少なくない。彼らはどういう経緯で大正区に移住し、どのように暮らしているのか。
大正区への移住者が本格的に増えるのは第1次大戦後。沖縄では深刻な不況下で食料に事欠き、ソテツの実や幹まで口にしたため「ソテツ地獄」と呼ばれた苦しい時期だった。彼らは出稼ぎのため、紡績産業で勃興期を迎えた大阪に大挙してやって来た。中でも大正区には工場が多く、移り住む人が相次いだようだ。
しかし、本土との文化や風習の違いに悩む人も多かった。就職では不当な差別があり、借家でも「琉球人お断り」といった貼り紙が当たり前。自然と沖縄出身者は大正区内の何カ所かに集まり、助け合うようになった。
現在、大正区で沖縄の雰囲気が最も色濃いのが平尾本通商店街、通称「サンクス平尾」。リトル沖縄とでも言うべき場所だ。南国風の音楽が流れ、店先にはシーサー、精肉店では豚足が並び、沖縄民謡をライブで聴かせる店や、揚げたてのサーターアンダギーを売る出店も。周辺には沖縄出身者が多く住み、琉球舞踊のけいこ場や三味線教室、琉球空手の道場なども多く見られる。
沖縄から遠く離れた大阪に根付く沖縄の文化に触れてみて今までの歴史やストーリーなどが見えてきました。
最初の頃は、厳しい環境だったと思いますが沖縄のゆいまーる精神で厳しい時代や文化、風習の違いも乗り越えられたのではないでしょうか。
このリトル沖縄に根付く沖縄の文化を今後も絶やすことなく後世に残して行って欲しいと思います。
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